2011年4月4日月曜日

東日本大震災 情報共有 2011.3.13

日本に大変なことが起きました。
本当に悲しい大災害が起きました。

みなさんに知らせたいし、何か支援することはないかと、岩手県遠野市の多田克彦さんに、メールをしました。
返事がきましたので、みなさんと情報を共有したいと思います。

ローカルデザイン研究会では、岩手県遠野市の多田克彦さん、宮城県気仙沼市の畠山重篤さんに、ゲストとして来ていただき、お話しをしていただき、多くの人に感動を与えました。
畠山さんとは連絡が取れません。
きっと避難して、どこかで無事に生き延びていると信じています。

中根さんからの情報によれば、一ノ関市の世嬉の一の蔵は崩れたそうですが、佐藤家一家、全員無事だそうです。
中根さんと多田さんとの電話で、自衛隊の隊員が遠野に集結し、海岸部の住民避難所などになるようです。
食料が圧倒的に足りないそうです。
畠山さんのお宅周辺は壊滅的な状態で、ライフラインはすべてアウトといった状況のようです。

今回の大災害で被害にあった仲間に、何か恩返しができないかと、メンバーから話があり、支援金など話し合っています。
意見や提案がありましたら、メールをください。

〇以下は、多田克彦さんのメールです。

このたびの東北関東大地震において、多くのご心配をいただき、ありがとうございます。

私、多田克彦、家族、従業員、乳牛すべて元気に生きております。大地震発生してから、電気は遮断され連絡できずにおりましたが、昨日3月12日夜8時に私の地域だけいち早く電気が回復し、みなさんに「生きてるぞ!」とメッセージを発しているところです。

3月11日午後2時40分、地球内部から大地がうなりはじめ、「来るぞ、来るぞ」と思っていたところ、大激震がはじまり5分間今まで経験したことのない恐ろしさと同時に家、工房、土蔵、格納庫、全てのものが倒壊すると意識しました。
庭では、自動車がバウンドして、立っていられない状態で、もう覚悟するしかない、命だけでも生きながらえたらありがたいとおもっていました。
地震発生して30分後に電気はストップ、そして大津波。私のところから30分車で走ったところは釜石、50分走ったところは陸前高田、全て壊滅です。
友人、知人とも連絡とれず、行くこともできない状態です。神に感謝です。私のところは大地震後、なにもなかったようにいつもの風景に戻りました。

しかし11日夜から10分間隔で余震があり、今は30分間隔できています。今遠野は沿岸地域に救援に向かう自衛隊の集合地で、空はヘリコプターが
道路は運搬車として動いております。ガソリンスタンドは一般車が給油を求めて長い車列、1L190円にはねあがっています。スーパー、コンビニも食品を求めて人の列ですが、今日をもって売るものがない状況です。
私のところは1年間の食糧備蓄と電気、ガス、水道はいつも通りで、どこよりも早く復旧し、午前中お年寄りの方々や食に不安のある方に牛乳や食べ物自社商品を無料で供与しはじめました。

問題はこれからです。沿岸地域全て地獄です。道路が津波にのみこまれた残骸で封鎖されています。市民は食糧をもとめて漂流が始まっています。
行政はまったく機能していません。どこかで機能しているのでしょうが、頼られるのは自分の判断と常日頃から養っている人とのネットワークです。

仙台空港の近くに私の商品の物流基地があるのですが、ここは大津波にのまれたようです(確認の方法がないので、YouTubeで見ているところです) 今すぐやるべきことは、首都圏からの大動脈である東北自動車道の安全確認して、食料、油、生活物資を運ぶこと。今困っている人に食を提供し、今頃の夜の生活で冷えから守ること。ここ数日、車で夜を過ごす人が多くなってます。
遠野はこれから釜石から遺体を受け入れ、悲しみのまちにつつまれるところです。

多田克彦

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