2011年4月4日月曜日

東日本大震災 情報共有 2011.3.15

みなさん

情報が遅くなりました。
多田さんから朝、メールが来て、多田さんを支援しようと、支援金の窓口をお願いしていますが、お忙しいのか、連絡がありませんので、情報共有だけです。

基本的には、ローカルデザイン研究会では、できるだけ具体的かつ現実的な活動に、直接支援したいと思っています。
多田さんと打ち合わせができれば、支援を進めていきたいと思います。

また、
みなさまがたのメールは、遠野市の多田克彦さん、東北まちづくり実践塾長の菊池新一、花巻市東和町土澤の猿舘祐子に転送しています。

以下、多田さんからのメールです。

鈴木輝隆さま
昨日釜石に行ってきました。惨憺たる状況です。
http://tadanaturalfarm.blogspot.com/
できることから始めました。
〇多田克彦さんから
東北・関東大地震前線レポート3/14
朝からけたたましくヘリコプターが飛んでいます。遠野は自衛隊・消防隊やそれぞれの地域から応援にきた救助隊のベースになりつつあります。主要道路は封鎖され、許可車のみの運行です。
昨日、おばが経営している民宿にNHK取材班20名10日間ほど滞在し、災害地に入り情報収集に努めていくものと思います。

体育館や公民館に沿岸から遺体や被災者が収容されると、情報が飛び交っていますが、市に問い合わせてみれば、その予定ではあるが、沿岸部と連絡がつかず、どのようになるのか、まったくわからないということでした。
災害から4日目ですが、大きな問題は被災地から中学校の体育館に200人運ばれてくるという話があり、地元民がおにぎり、炊き出しをして待っているけど、昨日はこなかったということで、ミスマッチが起こっていて、遠野市と援助隊との連絡不整合がおこりはじめています。
遠野で断水がはじまりました。私のところは断水あっても自分の山から沢水をひいてますので、まったく心配はありません。私の友人、知人である聖書をケセン語に訳した山浦先生、「森は海の恋人」運動に取り組んでいる畠山さん、釜石で海産物工場を営んでいる井戸商店従業員70人が避難所で無事であることを確認しました。

今釜石の情報を分析し、何ができるか行動をおこしているところです。メッセージを出しますので、協力お願いします。

〇次に猿舘祐子さんのメールです。
ご心配おかけしましたが、元気です。ありがとうございました。
酒店の商品は3分の2が破損。古い家なので、土壁がだいぶ落ちましたがこのくらいで済んだのが不思議なくらいです。お店の掃除をしながら、営業を続けております。お酒の匂いが充満しています。
商店街も電池、携帯コンロのガスボンべ、食料を買い漁るお客様の車が多かったのですが、ガソリンも入ってこなくなり、昨日あたりから自転車や徒歩でのお客様が増えてきました。
昨晩から電気が、今朝から電話、ネット(光回線のみ)が通じるようになり、先生から、また全国の皆さまからのメールを拝見したところです。
みなさまのお心遣い、本当にありがとうございます。

電気がつくまでラジオの情報のみで、大変なことだとわかっていても、こうして映像でみることにより、今回の地震、いえ津波が本当にすごかったんだと改めて実感しました。
いったいこれは何なんだとしか言いようがありません。

さて、今土澤商店街で建設中の、店舗つき共同住宅「こっぽら土澤」まちなか居住と商店街のにぎわいの復活を目的とし、現代の長屋暮らしと銘打ったこの建物は、高齢者向けの賃貸住宅8戸、分譲6戸、地権者住宅3戸の居住と、一階のテナントで構成されている3階の建物です。高齢者社会、限界集落、マイナスのことばかり言って暗くなって暮らすのではなく、東北の小さな町でも、明るく家族のようにお隣さん同士、仲良く暮らしているまち、そんなまちがあってもいいよねという思いを、商店主、地権者が中心となり形にしたものです。

構想から10年。誰一人お金に余裕のあるわけでもなく、ただただこのまちが大好き、このまちをどうにかしたという気持ちだけでここまで来ました。このまちには不釣り合いだ、身の程を知れ、必ず失敗する等々、外部の雑音にもめげず、花巻市と何度も交渉を重ね補助金の採択を受け、そして、自己資金の融資では、金融機関のたらい回しの中でどうにか最低限の融資を確保し、工事が着工できたのが予定の6か月遅れのこの3月。
何度もダメになりかけたながらもここまできたのは、関係しているすべての人たちの思いと熱意に他なりません。

しかし、この大地震です。どうして、ここまで色々なことがあるんだろうと、大きな揺れの中、工事中の建物が崩れないようにと祈るように見ているしかありませんでした。おりしも地震の翌日、「こっぽら土澤」の分譲のPRと、資金集め(私募債)のお願いに東京に行くことになっており、行く手を何かに阻まれているような愕然とした気持ちになりました。

きのう、釜石の方が買い出しに私の店にいらっしゃいました。学校関係の方で、子どもたちを家に帰したところ、帰る家がなくなっていたと学校にもどってきた生徒のお世話をしているそうです。買い物のリストにある商品を商店街から集め帰られましたが、リストの紙を持つ手が震えていました。誰が生きていて、誰がいなくなったのか、全く見当がつかない。半ば、呆然として買い物をしている姿に、涙が出そうになって、なんと声をかけたらいいのか、わかりませんでした。お互いにこの難局を乗り切りましょうと話すのは精一杯でした。

そうです。今は自分のいる立ち位置で頑張るしかないのです。その頑張りがまわりに伝わっていく。
お互いを勇気づけることになっていく、そう思ってやっていくしかない。こんなことで負けてはいられません。
そうわかっているのですが、大地震、そして福島の原発の風評被害を考えると、こっぽら土澤の分譲もどうなっていくのか、私募債は集まるのか、また、石油、物資の関係で工事はどうなっていくのか、不安だらけ全く先が見えない状況です。

鈴木先生、ここまできた事業をどうにか完成させたい。これから本格的に各地を回って、分譲のPRつまり、このまちにいっしょに住んでくれる人を探しに、またこの事業に協力していただく私募債のお願いにまわろうとして矢先、交通手段が切断され本当に困っています。
そのためのよい方法があれば、アドバイスをお願いします。
大変長文になりました。余震は続いています。

どうか、アドバイスのほどよろしくお願いいたします。
                       岩手県土澤 猿舘 祐子

〇続いて、同じ猿舘さんのメールです。

前のメールでは、長々とメールをしてしまい申し訳ございませんでした。
つらい気持ちをどこかで吐きだしておかないと、次に進めないような気がして、甘えてしまいました。
訂正ー工事着工が昨年の9月、完成が今年の6月末です。
が、この状況では遅れてしまうでしょう。

さて、こちらの状況ですが、花巻空港からの沿岸までの物資、人の搬送のヘリコプターの音が日没まで止むことがありません。
お店に来たお客様情報で申し訳ないのですが、花巻空港の応援にいった消防団員によると、
九州、四国など遠くからの物資は空港まで届いているのですが、ヘリコプターの搬送のため、多くを運べないそうです。また、緊急のけが人についても昨日は10人ほどで、数は少なくなって来ているそうです。残念ながら、後は亡くなった方たちの捜索が中心となるのではと言っていました。
また、産直の店長の話では、内陸部から沿岸への差し入れとして、お米が50キロ単位で売れているそうです。
山田の海産物屋さんも100キロのお米を買っていったそうですが、これはまだガソリンが残っているからできることで、ガソリンが入ってこなくなると、個人の買い出し、差し入れで現地に行くのは、無理になっていくでしょう。すでに宅急便はガソリンが確保できるまでと、営業を休んでいます。私も問屋に商品を取りに行く
(配送はしてくれません)ためにガソリンを残しておいて、近所の配達、買い物は自転車、灯油を減らさないために、昼間はストーブを着けず夜だけにして、節約しています。

この津波、大地震も大変ですが、福島の原発はいったいどうなるんでしょう。
2転3転する情報を聞くにつけ、何か重大なことを隠しているのでは思わざるをえません。
また、こちらの情報を流します。
                  岩手県土澤 猿舘 祐子

追加もあります。
〇猿舘 祐子から
鈴木先生、ありがとうございます。
実は私も同じことを考えておりました。
少しでも沿岸の方のお役にたてればと。
ただ、状況が状況だけにどうアクションを起こしていけばよいのか、もう少し時間をおいたほうがよいのか、悩むところです。
行政との連携も考えましたが、行政自体それどころではないでしょう。

粛々と受け入れ体制を整えておきたいと考えておりますので、どうか、ご助言、ご指導のほどお願いいたします。

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